よいことをすれば、よいことが起こるという法則は、体験からも知っています。けれども、よい行ないをして少し状況が変わると喜び、困った問題が起こるとまた動揺してしまいます。「少し不安だけれど、それでも前よりはよくなっている」と、自分にも人にも言い聞かせ、ただそれをくり返すだけで、それが信仰だと思い込んでいるのではないでしょうか。でも、それだけではもったいないのです。
法華経の真理の世界は、根こそぎ救われる世界です。
(本文 P83より)
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まさに私のことだなぁ…と妙に納得してしまいました。
私は特に、会社や家庭で起こることは、信仰と切り話して考えてしまうところがあります。
教会は教えて頂く場で、本当の実践場は会社や家庭なのに…
しかし教えていただく場があるだけでも本当にありがたいことだなぁとしみじみ思います。
こういったありがたい教えがなかったら…どうなっていたのだろうと考えてしまいます。
開祖さまや、ご先祖さま、家族のおかげさまで、ありがたい教えに触れ、自分自身も良き縁にならせていただこうと、自分を良く変えていくことができる。
本当にありがたいです。
いつでもどこでも、いろんな現象は、私が幸せになるための現象なんですよね。
これは仏さまのはからいなんだ!とありがたく受けとめるのは、他でもない私自身なんですよね。
いつでもどこでも、求道し、私自身が良き縁にならせていただこうと思います(-人-)
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〈信〉があれば仏さまのみ心と直通で感応しあうことができるということです。われわれが仏の慈悲を心から信ずれば、その力はたちまちわれわれのなかではたらきはじめます。それが感応という作用であり、成仏への最短通路だというのです。
仏さまの遺産(教え)はそっくり自分のものだと知り、それを素直に受ける気持ちになれば、だれでもすみやかに悟りにたっすることができるのです。
(本文 P88~89より)
ekka